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東京地方裁判所 平成10年(ワ)24727号 判決 1999年5月10日

原告 三菱信託銀行株式会社

右代表者代表取締役 A

右訴訟代理人弁護士 池田靖

同 桑島英美

同 矢嶋髙慶

同 竹村葉子

同 相羽利昭

同 蓑毛良和

同 田川淳一

右訴訟代理人支配人 B

被告 社団法人公開経営指導協会

右代表者理事 C

右訴訟代理人弁護士 山﨑克之

主文

被告は、原告に対し、金二七〇万二二二九円及びこれに対する平成一〇年一一月一〇日から支払済みまで年六分の割合による金員の支払をせよ。右支払は、供託の方法によらなければならない。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求の趣旨

主文同旨

第二事案の概要

一  原告の取立権の発生原因、被告の賃貸借契約等に関する基本的事実

1  原告は、株式会社ワールド・ベル(平成七年一一月二四日付け変更前の商号は、ベル興産株式会社であった。右商号変更の前後を通じ以下「ワールド・ベル」という。)に対し、別紙債権目録<省略>の各債権を有している(<証拠省略>及び弁論の全趣旨によってこれを認める。)。

2  ワールド・ベルは、原告に対し、昭和五九年二月一五日別紙物件目録<省略>の建物(以下「本件建物」という。)につき、債務者をワールド・ベルとし、被担保債権の範囲を銀行取引、手形債権、小切手債権、賃貸借取引、売買取引とし、極度額を五〇億円として根抵当権を設定する旨を約し、同年三月一三日その旨の登記を了した(争いがない。)。

3(一)  ワールド・ベルは、株式会社ベル・アンド・ウイング(以下「ベル・アンド・ウイング」という。)に対し、本件建物を賃貸し、これを引き渡した(争いがない。)。ベル・アンド・ウイングは、土地、建物の賃貸等を目的とする会社である(弁論の全趣旨によってこれを認める。)。

(二)  ベル・アンド・ウイングは、被告に対し、平成五年八月一一日本件建物のうちの三階部分床面積一六二・〇五平方メートル(以下「本件建物部分」という。)を、次の約定により転貸し(この賃貸借契約を以下「本件賃貸借契約」という。)、これを引き渡し、被告は、ベル・アンド・ウイングに対し、後記保証金を預け渡した(乙第五号証及び弁論の全趣旨によってこれを認める。)。

(1) 賃料は一か月一〇〇万九八一二円とし、被告は、ベル・アンド・ウイングに対し、毎月二五日限りその翌月分を支払う。

(2) 期間は、同年九月一日から平成七年八月三一日までとする。

(3) 保証金は、一〇〇〇万円とし、その二〇パーセントに相当する金額を「契約終了金」とする。

(4) ベル・アンド・ウイング又は被告は、本件賃貸借契約の解約を申し入れることができ、その場合には、本件賃貸借契約は、解約申入れの後六か月が経過したときに終了する。

(三)  本件賃貸借契約は、平成七年九月一日から平成九年八月三一日まで、同年九月一日から平成一一年八月三一日までの各期間について、順次合意により更新された(乙第五、六号証及び弁論の全趣旨によってこれを認める。)。賃料は、現在は一か月九〇万〇七四三円とされている(争いがない。)。

(四)  平成一〇年七月分から同年九月分までの各賃料債権の弁済期である同年六月から八月までの各月二五日が経過した(当裁判所に顕著である。)。

4  原告は、当庁に対し、右2の根抵当権に係る物上代位に基づき、右1の各債権を請求債権として、ベル・アンド・ウイングが被告に対して有する本件賃貸借契約に基づく賃料債権のうち差押命令送達の日以降弁済期が到来するものから金額四億六〇〇〇万円に満つるまでの部分について差押命令を申し立て、当庁は、平成一〇年六月二五日その旨の差押命令(以下「本件差押命令」という。)を発し(同年(ナ)第九八九号事件)、その正本は、同月二九日被告に送達された(争いがない。)。

5  安田信託銀行株式会社は、当庁に対し、本件建物の上の根抵当権に係る物上代位に基づき、ベル・アンド・ウイングが被告に対して有する本件賃貸借契約に基づく賃料債権について差押命令を申し立て、当庁は、平成一〇年三月一三日その旨の差押命令を発した(同年(ナ)第五七〇号事件)(争いがない。)。

6  被告は、ベル・アンド・ウイングに対し、同年一〇月八日本件賃貸借契約に係る保証金の返還請求権をもって同年四月分から九月分までの賃料債権(本訴請求債権が含まれることとなる。)とその対当額において相殺する旨の意思表示をした(<証拠省略>によってこれを認める。)。

二  争点

本件は、ベル・アンド・ウイングが被告に対し本件賃貸借契約に基づき有する賃料請求権に基づき、平成一〇年七月分から九月分までの各賃料合計二七〇万二二二九円及びこれに対する平成一〇年一一月一〇日(記録上本件訴状送達の日の翌日であることが明らかである。)から支払済みまで商事法定利率による遅延損害金の供託の方法による支払を請求する取立訴訟であり、争点は、次の各点にある。

1  前記意思表示に係る相殺の抗弁の当否、なかでも、被告が原告に対し右相殺をもって対抗することができるかどうか。

2  ベル・アンド・ウイングと被告は、本件差押命令の被告に対する送達に先立つ平成一〇年三月下旬ころ、同年一〇月以降未払賃料債務と保証金返還債務とをその対当額において相殺すること(同月ころ本件賃貸借契約を終了させること及びそれまで賃料を不払とすることを前提とする。)について合意したかどうか。

第三争点に対する判断

一  争点1について

1  前記第二の一4の事実によると、被告は、民法五一一条により、本件差押命令の正本の送達を受けた後に発生した債権又は他から取得した債権を自働債権とする相殺をもって原告に対抗することはできないこととなる。

2  前示の相殺の意思表示に係る自働債権は、本件賃貸借契約に係る保証金の返還請求権であるというのであるから、以下その発生原因についてみることとする。

(一) 本件賃貸借契約のそれに関する条項をみると、本件賃貸借契約に係る室賃貸借契約書(乙第五号証)及び平成九年九月一日付け合意更新に係る室賃貸借契約書(乙第六号証)によれば、そのいずれにおいても、被告は、ベル・アンド・ウイングに対し、本件賃貸借契約に基づく被告の債務を担保するため保証金を預け入れること(六条一号)、被告は、ベル・アンド・ウイングに対し、本件賃貸借契約の存続する間は保証金をもって本件賃貸借契約に基づく債務その他同社に対する債務との相殺を主張することができないこと(同条三号)、保証金のうち契約終了金とされる金額は、本件賃貸借「契約存続中に償却されるものとし、契約終了の際、契約終了金として、乙は甲にこれを支払う」(甲、乙とは、ベル・アンド・ウイング、被告をそれぞれ指す。)こと(同条五号)、保証金は、本件賃貸借契約が終了し、被告が本件建物部分を明け渡した後六か月以内に、前掲各室賃貸借契約書の引渡しと引換えに、ベル・アンド・ウイングは、被告に対し、これを返還すること(同条六号)、保証金を返還する際には、保証金の総額から右の契約終了金の額を差し引き、さらに被告に未払費用があるときはこれをも差し引いた上、差額を返還すること(同条七号)、以上が約定されていることが認められる。

これらの条項及び前記第二の一3(二)、(三)の各事実によれば、本件賃貸借契約上、被告がベル・アンド・ウイングに対し有すべき保証金返還請求権は、本件賃貸借契約が終了した場合において、被告がベル・アンド・ウイングに本件建物部分を明け渡した時に発生するものであり、その弁済期は、明渡しの日から六か月が経過した時とされ、その金額は、被告が預け入れた総額から右約定の契約終了金の額並びに被告の負担した未払賃料及び損害金の額を控除した残額とされるものと解すべきである。

(二) 被告は、保証金返還請求権は、履行期こそ明渡後に到来するとされているものの、債権としては、保証金が預け入れられた時に既に発生していると主張する。その論拠としては、(1) 本件賃貸借契約は、保証金のうち契約終了金とされる金額は「契約存続中に償却される」と定めている(前認定)ところ、これは、本件賃貸借契約存続中に保証金返還請求権が既に発生し、存在していることを前提にしている、(2) また、被告は、ベル・アンド・ウイングに対し、本件賃貸借契約の存続する間は保証金をもって本件賃貸借契約に基づく債務その他同社に対する債務との相殺を主張することができないとされている(前認定)ことの反対解釈として、本件賃貸借契約終了後であれば、明渡前であっても、被告は、保証金をもって相殺することが可能とされていると解すべきである、というかのようである。

しかしながら、本件賃貸借契約が、保証金のうち契約終了金とされる金額は「契約存続中に償却される」との条項を置いている(右(1))のは、字句不分明の嫌いがあるが、これを、ベル・アンド・ウイングは、被告に対し、保証金の総額から右の契約終了金の額を差し引き、さらに被告に未払費用があるときはこれをも差し引いた上、差額を返還すべき旨が約定されていることと併せてみれば、要するに、返還すべき保証金の額の計算上、右契約終了金の額は、被告が預け入れた総額から当然に控除されることをいい表したに過ぎないものと解される。したがって、右条項の存在をもって、本件賃貸借契約存続中に保証金返還請求権が既に発生するとされていることを示すものとはいうべくもない。また、本契約の保証金に関する前記(一)認定の各条項に、本件賃貸借契約に基づく被告の債務(これには、本件賃貸借契約の終了に基づく明渡義務の遅滞による損害賠償義務のように右終了後に発生するものが含まれることはいうまでもない。)を担保するという右保証金の性質を綜合考慮すると、被告は、本件賃貸借契約終了後であれば明渡前であっても、保証金返還債権をもって自己の債務と相殺することができるものとは直ちには解し得ず、被告の右(2)の主張は、その前提において採ることができない。その点は暫く措き、右のような相殺が本件賃貸借契約によっては禁止されていないとしても、そのことが、本件賃貸借契約に基づく保証金返還請求権が保証金預入れの時に発生するものと解すべき理由になるものではない。

右のとおり、保証金返還請求権の発生時期に関する被告の前記主張は、独自の見解であって、採用の限りでない(付言するに、建物の賃貸借契約の存続中における賃貸人に対する敷金返還請求権も、一般に確認訴訟の対象としての適格に欠けるところはないと解されるところ、その論拠として、右敷金返還請求権は、賃貸借契約終了前においても条件付きの権利として存在するとの説明がされるとしても、右条件が成就するまでの間は、民法五一一条の定める相殺の禁止との関係においては、賃借人は、未だ敷金返還請求権を「取得シタ」ものとはいい難く、条件成就が支払の差止めに後れた場合には、敷金返還請求権を自働債権とする相殺をもって差押債権者に対抗することはできないと解するのが相当であるから、右の理は、必ずしも前示認定判断の妨げとなるものではない。)。

(三) しかるところ、被告は、ベル・アンド・ウイングに対し、平成一〇年三月三〇日解約を申し入れ、同年九月三〇日本件建物部分を明け渡したというのであるから、これを前提としても、本件賃貸借契約は、前記第二の一3(二)(4)の約定に従い、同日の経過によって終了し、保証金返還請求権は、同日発生した(その弁済期は、平成一一年三月三〇日となる。)こととなる。そうであってみれば、本件賃貸借契約に基づく保証金返還請求権は、被告が本件差押命令の正本の送達を受けた日である平成一〇年六月二九日の後に発生した債権であることとなるから、被告は、これを自働債権とする相殺をもって原告に対抗することはできないこととなる。

3  以上のとおりであって、争点1に関する被告の主張(相殺の抗弁)は、その余の点について論ずるまでもなく、それ自体において失当である。

二  争点2について

被告の主張する相殺の合意(予約)については、的確な文書による立証を欠く(被告の主張によれば、本件賃貸借契約の解約申入れは、右合意とほぼ時を同じくしてされ、かつ、内容も右合意の前提をなすというのであるが、それに係る乙第七号証の室賃貸借契約解約届をみても、右合意を窺わせる記載はない。)のみならず、そもそも、被告は、本件差押命令に際し催告を受けて当庁に提出した陳述書(甲第二号証)において、差し押さえられた賃料を債権者に支払わないとしつつ、その理由については、保証金の返還に不安があると述べたのみであって、右主張の合意の存在には何ら触れていなかったのである。これらのことに照らすと、被告の右主張事実は、被告又はベル・アンド・ウイングの関係者の供述についてみるまでもなく、到底これを認定し得るものではない。

第四結語

以上によれば、原告の本訴請求は理由があることとなるから、これを認容することとする。

(裁判官 長屋文裕)

<以下省略>

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